激闘に愛を叫んだのは誰?

 場所によってはGレコⅤの上映も最後の週になるこの時期にGレコⅣの感想をブログに書いてる理由はただ一つ、ブログそのものをさぼってたからです。

 

 とは言え、先行上映に参加できたのでそのあとすぐに書こうと思ったりもしたのだけれど、それは普通にネタバレになるし、なんならⅤも連続できたせいで記憶もぐちゃぐちゃだったりと普通に書けなかったということもあったりする。(ブログ自体はほかのこと書けるので純粋なさぼりです)

 

ということでGレコⅣの感想を書くんですが、ぶっちゃけ全体の感想はTwitterであほみたいに書いてますし、わざわざ書き直すこともないので気になった人はリンクから漁ってもらえれば、という形に

 ここで書くのは皆さんが話題にしてるあのシーン、、、そう!アイーダさんのお散歩シーン!

 タイトル的にも見せ場的のもマックナイフVSgセルフだろ!ってなるかもしれないけどそれはいいだけTwitterに書いてしまってるし、見た人なら何も言わなくてもわかってください!見てない人は見ろ!

 

 実はⅣでいちばん好きなシーン、深夜に散歩をしているアイーダさんを追いかけるベルリの一連のシーンでして、何なら一番大切なシーンとも思ってたり。というか、激闘に愛を叫んだのはマニィだけでなくアイーダもなのでは?と先に言ってしまう。なのでじっくり好きなところ書くぞ!

 

 

 

 お散歩シーン、まず眠そうなベルリがなぜか深夜に徘徊して階段を下りていくアイーダに気づき追っていくシーンから始まるのだが(そのまえのフクロウ時計もポイントである)、初めて見た時からなんか既視感あるな~って。Ⅱのアイーダがベルリにお礼を言うシーンなわけですよ。Ⅱはベルリは寝起きで、早起きしてるアイーダさんがランニングしてるのを見つけお礼を言われるけど咄嗟のことだし、惚れてる相手だから追うことも返事をすることも出来ない。Ⅳだと眠くて壁に頭をぶつけて目が覚めたベルリは、アイーダさんが姉と整理がついてるから心配で追っていける。しかもここの作画、Gレコらしくないというか、新海誠とか細田守的なぬるぬるさを感じて滅茶苦茶驚いたんだけど僕だけか?

 GレコⅣだとマニィが数多ある星の中からルインを探したり、まず金星が舞台だったり、フォトントルピードの星のような輝きで人が消滅したりするわけだけど、アイーダさんは宇宙の星々に人類の生命を感じる。僕、初見で「あ、ここがタイトルなんだな」って思ったんですよ。アイーダさんはムタチオンや自分が知らない認識といった現実、激闘と戦ったうえで人類全体の愛を語る。叫んではいないけどその言葉には愛が宿ってる。そしてここの会話もとんでもなく好きで、「ムタチオンは人類が宇宙に同化する手段だとラグー総裁はおしゃっていた」と入る。あんなに人からかけ離れた見た目になり、寿命も人のものではなくなっているのに「これも人のとった一つの選択」と言ってしまえる人なんですよ、ラグー総裁。

 ここにすごく驚いてて、多分Gレコはムタチオンを「人類の退化」とだけ言ってるわけではない。下手したら「これってこれから向き合う課題だし受け入れていくものだよね」って言ってるんじゃないかなって。でもせかすわけではなくアイーダさんが「でも私には、変わるのはまだ辛いかもしれない」と言わせてくる。見てる僕たちにもアイーダさんにも今すぐ変われとは言わない。でも、考えておいてねと言ってくれる。

 ベルリの「安心しました」っていうのはきっと見てる側としても「アイーダ自身、受け止めて少しずつ進んでいるんだな」という部分にシンクロしてるし、そこからの会話で地球圏に帰ってくるという実感もくれる。ヴィーナスグロゥブ編と地球圏に来てからを結ぶ大切なパートも担ってるわけですよ。

 

 Gレコ漬けで少し脳みそがパンク気味なので大したことを書いたわけではないですが、こんな感じで少しずつでも僕もさぼる日々から変わっていこうかと、ではスコード